河堀稲荷神社について

河堀稲荷神社は、大阪市天王寺区大道に鎮座する神社です。
地域では古くから「河堀さん」の名で親しまれ、地域の皆さまの暮らしとともに歩んできました。


【ご祭神】

宇賀魂大神(うがのみたまのおおかみ)
崇峻天皇(すしゅんてんのう)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

【由緒】

河堀稲荷神社は、大阪・天王寺の地に古くから祀られてきた、歴史ある神社です。

当社に伝わる記録によれば、第十二代 景行天皇の皇子である小碓命、のちの日本武尊が、筑紫、現在の九州地方における熊襲征討の折、この地にお越しになったことが、当社の由緒のはじまりとされています。

その際、夏目入穂の孫にあたる逆輪井が舟師としてお供を務めたと伝えられています。また、帰路には難波柏の済において悪神をお鎮めになったとも伝わり、この地は日本武尊にゆかりのある場所とされています。

さらに、逆輪井の妻である日柿日夜は、皇子のご無事を願い、大和笠縫の斎宮に参上しました。そして倭姫命より太玉串を授かり、これをお祀りしたと伝えられています。

その後、二年にわたって豊作が続き、皇子も無事であったことから、景行天皇の御代に逆輪井へ神地が与えられ、「稲生の神」として代々お祀りするようになったと伝えられています。

成務天皇の御代には、大きな旱魃が起こり、勅命により雨乞いの祈願が行われました。その際、神のお告げによって水路を開き、大堀を造って用水としたことが、当社の記録に残されています。

また、仁徳天皇の御代には、九月九日にその年の初穂をお供えする豊年初穂祭が行われ、翌年三月三日には初穂授与祭が行われました。これらは、当社における大切な祭祀として受け継がれてきたと伝えられています。

その後、四天王寺の創建にともない、この昼ヶ丘の地に社殿が建てられました。崇峻天皇をお祀りし、四天王寺七宮の一宮として、稲生大明神とともに祀られるようになったとされています。

古くは「昼ヶ丘澤龍山巽宮崇峻天皇社」とも称され、四天王寺東門より東へ四丁ほどの河堀口の地に鎮座していたと伝えられています。

この地域は、かつて「古保礼」または「古保利」と呼ばれていました。延暦七年には、和気清麻呂が河内・摂津の国境に川を掘り、堤を築く大きな事業にあたり、当社に祈願したと伝えられています。

その後、この地は「河堀」と書いて「こぼれ」と称されるようになり、周辺一帯は「河堀口」と呼ばれるようになりました。

河堀稲荷神社は、日本武尊にまつわる伝承、四天王寺との関わり、そして河堀口という地名の由来を今に伝える神社として、今日まで大切に受け継がれています。



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